Chewing Gum Lake
標高 8,600フィート付近


2002年10月5-6日

Emigrant Wildernessの西側を探索してみようという事で、アプローチがよさそうな Gianelli Cabinトレイルを選んだ。Pine Crestレンジャーステーションから、 ドッジリッジスキー場の南側に回り込みさらにダートロードを7マイルほど走ったところからトレイルは始まる。 あとでわかった事だが、このトレイルはシエラ最悪といわれた Emigrant Pass (Sonora Passの南方7マイル)ワゴントレイル(1852-1854)の跡を通る 歴史ある道であった。



トレイルヘッドから45分も林のなかを登っていくとやがて展望が開け Burst(Birth) Rockに着く。(ここで荷馬車隊の女性が子供を 生んだとことに由来する) 眼下に見えるのはSouth Fork Stanislaus River、この辺りから 北側のほうはどちらかというと火山性の山が多くなる。南側はヨセミテへと続く(氷河に磨かれた) なだらかな花崗岩系の岩山が広がる。
更に東に40分ほど進むと今日の宿泊地Chewing Gum Lakeの見えるところに着いた。 湖の横に広がるメドウは枯れきっている。 我々はここから道を外れて、一気に湖目指して下っていく。
湖についてからが一番大変だったかも知れない。さすがにトレイルヘッドから近いだけあって、 3パーテイほどが一番大きな湖の周りにいた。我々は最近愛用しているトランシーバーを使い、人のいない 風水の良い天場を探しまわった。テント設営、水汲み、そして薪集めを終えるともう6時半近く。 Aはかまどの周りで、火を起こしている。
天場の横にある小さな湖。10月ともなると、湖の水もぐっと少なくなり、きれいな飲み水をバケツに 汲むのもなかなか大変である。水はどよよ〜んとしている。 奥に見えるのは、夕日を浴びたThree Chimney。
今日もビールとビーフジャーキーで酒宴が始まる。 月のない夜空は星で埋まっていた。このあとAはカシオペアを見つけたと言い張る。 そこまでは良かったが、そのあと北斗七星が出たとか沈んでしまったとか、 支離滅裂な事を言い出す始末。 はっきり言ってよくわかってなかったよーだったので、カシオペアも眉唾ものである。 さすがに9時半にもなるとだいぶ冷えたので、お開きにした。 夜半12時ころから突然風が吹き始まり、 木々がゴーゴーと夜通しうなり続けた。
次の日も快晴。朝八時前には撤収を終え歩き始める。朝の陽はまだ弱く 体も温まっていないのでクライミングジャケットを着て歩かないと寒い。
再びBurst Rockにて。トレイル上では最もなだらかなあたりである。 この傾斜だけが続いていれば荷馬車も楽に通れただろうが、 飛び出た岩や木などの障害物や、更にきつい斜面もあちこちに出てくるわけで、 150年前の移住者たち(Emigrants)は並々ならぬ苦労をしたという トレイル上にあった立て看板の文章にもうなずけるものがあった。

...The progress was painfully slow and the party soon ran out of food. Moorehead and Clark left the group at Leavitt Meadow and rode ahead over the Sierra to get supplies. Returning nine days later, they met the rest of the party coming west without their wagons at what is now Relief Valley; the Brown Family had slaughtered two oxen in order to feed themselves and the men. With help from Columbia miners, some of the party went back for the wagons. The ordeal of getting over the mountain required easing the wagons down steep descents with ropes, filling ravines with boulders and even lowering the level of Fremont Lake to make a path wide enough for wagons. What Moorehead promised to be a ten day trip to the mines become an odyssey of more than a month...

Major John Ebbets followed the West Walker-Sonora route from West to East in late 1853 while exploring a possible railroad route for the Atlantic & Pacific Company. After following a trail of dead animals and broken wagons, he concluded: "This route is the worst that could be found... I advise no emigrants to take it"

The West Walker-Sonora emigrant trail through the high Sierra soon returned to wilderness, as it remains today.